この地域は、原産地呼称制度「San Simón da Costa (サン シモン ダ コスタ)」の名において生産されるチーズの原材料の乳に最適な地域で、アバディン、ビラルバといったいくつかの市町村で構成される Terra Chá (テラ・チャ) 地域一体を指します。多くの推奨ルートによると、北の道の 29 番目の区間にあたり、その距離は約 20 Km です。
この道は、フランスの道と同様に古い道です。何世紀もの間、ほとんどの巡礼者たちがこの道を通ることはありませんでした。しかし、サンティアゴへの巡礼者の数が増えるようになると、再び大切なルートとして見なされるようになり、多くの巡礼者たちがこのルートを使うようになりました。
この道の距離は「銀の道」に続いて 2 番目に長いものとなっています。周囲の景色や地形により、この道は大変興味深い選択肢の 1 つとなっています。
保護原産地呼称サン・シモン・ダ・コスタ産チーズの加工に適した牛乳の産地は、ガリシア地方のテラ・チャ郡を含む地域で、ルーゴ県に属する市であるビラルバ、ムラス、シェルマデ、アバディン、ギティリス、ベゴンテ、カストロ・デ・レイ、コスペイトそしてア・パストリサが該当します。
チーズ製造では長年の伝統を誇る土地で、酪農業が地域経済に非常に重要な役割を果たしています。基本的にガリシア産ライトブラウン種、ブラウンスイス種、ホルスタイン・フリーシアン種およびこれらの各種交雑の畜牛で構成される酪農業で、サン・シモン・ダ・コスタ産チーズに優れた品質の原料を提供します。
ルーゴ県下のこの地域がもたらす産品の品質と豊かさを最大限に引き出したチーズ、サン・シモン・ダ・コスタ産チーズが生まれるのは、まさにこの地です。
「サン・シモン・ダ・コスタ」産チーズの起源は、伝説によれば、カストロ文化が栄えた時代、ア・カルバ山脈とオ・シストラル山脈にほど近い地域に定住した民族によるといわれています。
このチーズに関するあらゆる文献は中世の暗黒時代に紛失するものの、その製法が今日まで伝承されていることから、たとえ、それが一般家庭の食卓の一部としてか、貴族や聖職者への納税手段として、はたまた高貴な人への贈答品としての存在だったかは別として、チーズが当時の日常生活の中に存在していたことがよくわかります。
1857年、マドリードのプリンシペピオ山でスペイン政府により開催された博覧会。ルーゴの実業家たちが40種におよぶ製品の他、薬草26種や木材57種を紹介して出展。同年9月、地元の新聞「ラ・アウロラ・デル・ミニョ」紙に掲載された記事では、この博覧会出展について次のように伝えています。「本県の主な農作物である小麦、カブ、グリンピースや栗、またイチゴノキ属マドロニョを抽出した蒸留酒や硫酸エーテル、フランドル地方産バターをそっくり再現したバター、サン・シモン産チーズ、麻、薬草(後略)」
1892年、ビラルバ市役所はシカゴ博覧会に発送するため、サン・シモン産チーズ2個を20ペセタで購入する支出を承認。この記録は、アントニオ・ペニャ・ノボ氏の著作「19世紀のビラルバ」に収められています。
ルーゴ県議会は、1913年マドリードで開催された乳製品産業展で、サン・シモン産チーズセットを紹介。スペイン国王アルフォンソ13世がこの展示会を訪れた際、サン・シモン産チーズの大きさや形状、外観が国王の目に留まり、その製法の詳細について大変興味を示されました。その全経緯は、当時のルーゴ県獣医検査官アルメンダリス氏により広範にわたって報告されています。
1932年、地方紙「ファロ・ビラルベス」は8月10日付の紙上で、獣医ロフ・コディナ氏の署名入り記事を紹介、その中で氏はこのチーズについて触れ、特に次のように評しています。
「マドリードの第3回スペイン畜産品評会において、富裕層の一般客から最も注目を浴びたチーズは、ルーゴ県議会が乳製品部門で展示したサン・シモン産チーズであった。この評判を受け、カサ・ラルディは毎月1000Kgを納入するよう申し入れた(後略)」
「サン・シモン産チーズが製造されるビラルバ郡では、ほとんどの村が家内産業として、樺の木で作られる木製サンダル靴の生産に携わっており、これがチーズの燻製用に前述の木材チップが利用される所以である(後略)」
作家カルロス・コンパイレは、1961年発表のガリシア産チーズの分類と改善に関する論文の中で、サン・シモン産チーズの徹底分析を行っています。
「このチーズの形状は特有で、恐らく世界でも唯一の形状である(中略) 表面にツヤがあり、薫煙によって色がくすんでいるチーズで、その色調は濃い目から栗色まで多彩である。加熱処理を受けるため、外皮は厚く固いが、これはチーズの製造・成形後、硬化作用にて行われる薫煙によるものである。チーズ表面のツヤは、基本的には熱加工と手作業による仕上げの結果である(後略)」
ビセンテ・オテル・カオの著作「ビラルバとその管轄区域」(1963年)には「長年の伝統を誇るビラルバの産業」の項があり、「典型的サン・シモン産チーズ」と題し、文字通りこう述べています。
「この手工業は、何世代にも渡り受け継がれているが、いつから始まったのかは誰も知らない。だが、これだけは言える。ピラミッド型をしたチーズのこの特有の形状は、サン・シモン・デ・ラ・クエスタ(ダ・コスタ)と呼ばれるこの教区に特別に限定されたものである」
1996年にスペイン農業漁業食料省により刊行されたスペインの伝統的特産品目録では、サン・シモン産チーズに関する幅広い紹介が掲載されています。
「ガリシア地方の伝統的自家製手造りチーズ。古くから伝承された製造過程を頑なに維持(中略) その特有の形状とスモークは、このチーズを見分ける主な特徴である(後略)」
サン・シモン・ダ・コスタ・チーズは、現在、ヨーロッパ内外の大陸の新たな市場で確固たる基盤を築く段階にあります。
関連法:
- 1991年4月16日付け通達によりP.G.C.サン・シモン産チーズの名称認証。
- 1992年6月7日付け通達によりP.G.C.サン・シモン産チーズの統制承認。
- 1999年4月20日付け通達により原産地呼称D.O.サン・シモン・ダ・コスタ産チーズの認証。
- 2004年11月19日付ガリシア州政府の通達により、保護原産地呼称サン・シモン・ダ・コスタ産チーズの統制承認。
- 2017年2月15日、スペイン農業省のCircularにより、サン・シモン・ダ・コスタ原産地保護庁が生産するチーズの管理矯正。
サン・シモン・ダ・コスタ産チーズの加工は、昔ながらの作り方に最良の原料と最大限の保健衛生管理を結びつけて行われます。製造工程における二つの大きな特徴が注目され、独特の味わいと香りをチーズにもたらします。先ず第一に、基本的な原料である牛乳。これはガリシア産ライトブラウン種、ブラウンスイス種、ホルスタイン・フリーシアン種の乳牛から搾乳され、衛生管理規制に準じたゾーンで常に生産される牛乳です。また第二には、チーズに特に際立った特徴をもたらすための加工段階「スモーク」。この地域の代表的な木である樺の木(アベドゥール)を利用しています。
製品が出来上がったら、あとは最終仕上げのラベル表示。サン・シモン・ダ・コスタ産チーズには、「原産地統制委員会」が管理する裏ラベルが表示される他、原産呼称に登記されているメーカーのラベルが貼付されています。こうして、流通および消費に向けた準備が整います。
このチーズには2つのラインナップがあり、大きいサイズは、熟成期間45日以上、熟成後の重量0.8㎏~1.5㎏、高さ13cm~18cm。また小さいサイズは別名“ブフォン(「道化師」の意)”とも呼ばれ、熟成期間30日以上、熟成後の重量0.4㎏~0.8㎏、高さ10cm~13cm。おもちゃの「コマ」とピストルの「弾丸」の間のような形状で、先端がとがっています。外皮はスモークされ、しっかりと固く、厚さ1mm~3mm、くすんだ黄色で、すこし油っぽさがあります。中身は、きめ細かく、まったりとしたテクスチャーでセミハードタイプ。やや弾力性があり濃厚、黄色がかった白色で、カットしやすいソフトなチーズ。独特の風味と味わいがお楽しみいただけます。
チーズ内部にできる小さな気孔「アイ」はそれほど多くなく、円形や不規則な穴でサイズは色々ですが、グリンピースの半分以下の大きさです。伝統を大切にする心や丹精込めた手作業によって生産され、サン・シモン・ダ・コスタ産チーズは、高級で健康にいい絶品のチーズに仕上がります。保健衛生規制についても同様に丁寧な取組みが行われており、手造り製法と最高の原料を組み合わせ、サン・シモン・ダ・コスタ産チーズは、ガリシア地方だけでなく国境を越えて最高級品として認められています。
その生産を保護・促進し、かつ品質を保証する目的で、「保護原産地呼称サン・シモン・ダ・コスタ産統制委員会」が制定されました。同委員会は、製品一つ一つに対し、チーズの製造に使用される牛乳の生産地だけでなく、適用される衛生規定についても検査し、徹底した品質管理を実施する機関です。
サン・シモン・ダ・コスタ産チーズの製造では、伝統と最先端技術体制を組み合わせています。
手作業による作り方のおかげで得られる他のどのチーズとも違う独特の味わいが、新技術の中に見え隠れし、誰もが認める品質となっています。その製造にて採用される最新技術により、サン・シモン・ダ・コスタ産チーズの各製造工程を追って管理することが可能です。こうして、製品の極上の品質および最大限の衛生管理を保証することができるのです。年間平均400,000㎏のチーズの品質保証がせまられることから、テクノロジーの助けを借りず、このような徹底した管理を実現させるのは不可能でしょう。